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ジョージアのCMに起きた変化
ジェンダー化された商品とそのCMが持つ差別性の問題への解答のひとつに「家族」がある。このさしあたっての仮説を保持して、再び缶コーヒーの話に戻ってみよう。そう、予告してあった「GEORGIA」の現在のテレビCMの話だ。
GEORGIAのCMに山本美月が登場したときのことは鮮烈に覚えている(2018年1月頃から放送開始)。典型的な「男の職場」である建築現場に山田孝之の部下である山本美月が「働く女性」として登場した(「男の飲み物」だった缶コーヒー市場に風穴が空いた! )と思ったら、いつの間にか山本美月は現場監督として独り立ちしていた。「働く女性」が男性を補助する役割として描かれず、男性と同じ労働者として描かれるのは、やはり相当にエポックメイキングなことだったと思う。
そして現行のテレビCMでは、この方向性がさらに推し進められている。建築現場で働く山田孝之、ビルの外壁清掃をする染谷将太、寒空の下クリスマスケーキを売る広瀬アリス、仕事の打ち合わせの電話をしながら子どもを家に連れて帰る麻生久美子の間を気遣いの心が巡り、その中心に缶コーヒーがある。男女がともにその働きをねぎらい、賃労働者と(兼業)主婦の間の分断も乗り越えられている。
そしてさらに特異なのが、「男らしさ」や「女らしさ」をめぐる問題が、ありがちな「家族(の絆)」によって解決されていないところだ。ありがちであること自体は悪いことではないが、幸せな家族像ばかりが「解決策」として示されれば、今度は「家族を持つもの」と「家族を持たないもの」の分断が浮上してしまう。そうなっていないところが、このCMの面白いところだと思う。なんだか缶コーヒーを好きになれそうな気がしてきた。
たかがテレビCMというなかれ。テレビCMもまたさまざまな商品がジェンダー化される一つの手段であり、そのジェンダー化を解除するための一つの手段でもある。そのしくみやしかけを注意深く観察し分析することは、ソファに座ってポテトチップスを食べながらでもできる、「カウチポテトジェンダー論」の実践である。そこからこの社会の「女らしさ」「男らしさ」の問題について考え始めることも、十分に意義があると、私は思うのだ。
<引用終わり>
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そしてそのうち、ディカフェ(カフェインレスコーヒー)がどこのカフェや
レストランでも提供されるようになり、缶でも発売されたら、もう1つ時代は
動いたってことか・・・。