「戦争」についての生々しい証言と言えば、ジャストフォーティーの私にとっては、祖父母から聞く話でした。両親は幼かった為、戦地や戦時中の本当の悲惨さを語って伝えるほど、戦争を知りません。
ひと世代飛ぶだけで、残念なことに「生々しさの記憶」は、ある程度薄れるものなんだと、最近感じています。
なぜそんなことを実感するようになったかと言えば、ポルトガル人の主人と結婚したことが大きいです。主人は私より8歳年下です。しかし実の父親(現在50代)が、戦場を経験しています。
それは第2次世界大戦終結より後の1970年代に、ポルトガルが植民地にしていたアフリカの国々で独立戦争が起こったからでした。
それを鎮圧するために、主人の父は(家族が貧しかったため)出稼ぎに行っていたフランスから呼び戻され、アフリカの戦地へ向かったのでした。
敵地で行軍する時には、必ず地雷の危険が伴います。軍の先頭で、地雷の有無を機械で確かめる人がいます。機械が反応して地雷があるとわかった時、それを素手で掘って取り除く仕事をしていたのが、主人の父です。やり損じたら、いつこっぱみじんになってもおかしくない役割です。
ある時、敵に10日間包囲され、その時あった食料が米だけで、なんの味もなく、生きるか死ぬかもわからず白米を食べ続けた経験のせいで、主人の父は戦地から帰った後、今でも「白い、味のない米」は食べないんだそうです。その時の恐怖を、思い出すからだそうです。
ポルトガルには、ついこの間まで兵役がありました。主人も、もれなく軍隊経験をしています。
日本では映画やドラマで、軍隊の様子を見たりしますが、あれが本当に自分の身に降りかかる、というのがどういうことか、私は主人に会うまで本気で考えたことがありませんでした。
軍の厳しい規律や、上官の命令は絶対だとか、国のために自分が命を差し出すんだとか、こんなことの1つ1つは、今の日本人の多くには、現実味をもって捉えることはできません。
考えてみて下さい。あなたが男であっても、女であってもいい。想像してみて下さい。
戦争がなくとも、20歳前後の自分が、「1年間兵役につく」ということを。
好きな人がいる。人生の今を賭けたかった趣味・仕事がある。放っておけない状態の家族がいる。抜けたくない仲間がある・・・。20歳って、成人しているようでもまだまだ若いから、つまんないことで心が揺れたりもする時期です。そんな多感な、自分の人生の「1年間」を、お国の軍隊ですごすって、どういうことでしょうか?
そしてその1年の間に、たまたま政情不安が起これば、実際に戦地に行かねばなりません。今の時代は、自分の国の事情だけでなく、安全保障条約や属している国際機関からの要請でも、派兵はあるわけですから。
主人は軍隊で、パラシュート部隊に属していました。戦地では、真っ先に敵地に進入する役割です。主人のいた1年間に、「NATOによるセルビアの空爆」がありました。NATOは(当時の)西ヨーロッパ各国の編成軍ですから、ポルトガルにもセルビアへの空爆に参加する志願兵を募る知らせが来ました。変な話ですが、当然このような命をかけた、ハイリスクの仕事を請けると、報酬はべらぼうに高いのです。
主人は報酬のためではなく、志願することを考えていました。主人は「今ならわかるが・・」と話してくれますが、入隊するとまず、体の訓練より、「君達は国家のために命を賭けて働くんだ!」という強烈な心の訓練を、繰り返し受けます。
「あれは、一種の洗脳だ。でもそれをしなきゃ、軍隊は機能しないさ。」と主人は言います。
「若い僕も、それを純粋に信じた。だからNATOや国の要請を請けることが、良いことなんだと思った。志願書に記入して、最後に自分の名前をサインをする所がある。僕は、なぜかそこまで書いて、最後のサインをしなかった。なぜかって?わからないよ。なぜか、サインをしなかった。そして空爆には参加しなかったんだ・・・・・」
これは、結婚してから聞いた話ですが、もし主人がこの空爆に参加していたら、私は主人を許せただろうか・・、とひそかに冷や汗を流しました。
私には、18年続けた合気道を通じて、セルビアにも大切な友人がいます。またサッカーのドラガン・ストイコビッチのファンでもありましたから、セルビアの歴史や政治的事情には、その当時からかなり精通していました。爆撃の合間に、限られた電力を使ってメールを送ってくる友人の無事を、毎日祈っていたのです。
「もし主人が、セルビアへの空爆に参加していたら・・・・」
これは、後で何度も何度も考えましたが、私の中で答えは出ませんでした。
戦争に参加しなくとも、兵役につくだけで、軍の規律や洗脳教育は、人間の精神のどれだけを破壊するでしょうか?
なんでも自分のペースで物事をしたがる主人は、絶対従わねばならない1年間の兵役が、自分で思う以上にストレスだったようです。20歳だったのに、その時から髪の毛がなくなり始めました。今でも、主人の性格のある部分は、この1年間によって作られてるな、と感じることがあります。(決して口にはしませんが、妻にはそれがわかります。)
「できれば、銃など取りたくない。できれば、(使い方は習ったけれど)発砲したくない」−そう強く、強く思って、兵役を終えたんでしょう。
そんな主人から見ると、日本でなんの気なしに「迷彩服」を普段着で着ている人がいたり、ベビー服に迷彩柄のものがあったりするのは、信じられない光景のようです。
息子が(保育園で覚えてきて)「バンバンバン!」と銃を撃つマネをするのも、大キライです。それがどれほどの意味を持つのか、なぜ誰も考えない・感じないんだ!?と。そんな主人の話を聞き、初めて本気で考えたことが多かった(結婚生活)5年間でした。
今日、映画「プライベート・ライアン」を見て、その思いはもっと深まりました。主人や息子が「お国のため」といって死んで、私はそれを受け入れられるのか?「国」や「戦争」を許せるだろうか?
また、自分や娘が、攻撃してきた兵士や砲弾によって死んだら、「仕方ない」とあきらめられるのか??
もし主人がセルビアを空爆していたら、「国が属していたNATOの決定だったんだから、しょうがない」と受け入れられたのか???私はその後も、セルビアの友人に顔を向けられたか??
こんな答えのわからない難問がたくさん出てくる戦争は、しない方がいいに決まってる。
大義だの、人権だの、きれいな言葉で飾り、今も武器を売ることでボロ儲けしたい闇の商人は、世界各地で紛争・戦争を起こそうと巧妙に動いているけれども、そうでない「平和の光」で少しでも阻止することができるのをお忘れなく
それは、あなたの心の中の「平和の灯(ともしび)。」 あなたの心の中で、「平和でありますように」と願うことが、世界の小競り合い(こぜりあい)を1つ、2つ消せることを忘れないでね。宗教も、宗派も、関係ないから。
「願う心」は、純粋なクリスタルガラスと同じ。すべてを映し、またすべてを消すことも可能なの。今夜くらい、光の柱になって、宇宙に願おう。