私は36歳の終わりと、38歳の終わりに、子供を産みました。
2回とも40時間陣痛と闘いましたが、子宮口が十分に広がらず、帝王切開となりました。
半身麻酔で、はっきり意識のある中で、子供が取り出された喜びは、40歳になった今も、よく覚えています。高齢なので出るかしら?と心配した母乳も、あふれる程よく出て、子供たちは元気に成長しています。
出産の早かった同級生の子供達が、今や中・高生になろうという時、乳幼児のお世話に追われているのが私です。
結構な年齢で親になるのも、最近では珍しくないですが、私の場合の素直な感想を、書いてみましょう。
★最も身に沁みたことー授乳感覚が短い間の睡眠不足。若い時なら数日眠らなくても過ごせた体も、40近くなると「細切れ睡眠が、こんなに人の命をむしばむものか・・・」と実感。正直、1回目も2回目も、生後4ヶ月位までは「あかん、もう死ぬ・・」と毎日思った。若くないことを、一番思い知ったのはコレであった。
★精神的なタフさー体力の減退には幻滅しつつも、精神的には強くなっていることに気づく。様々な場面で、「これが25の時の私なら」と考えてみた。若い頃は確かに体力はある。でも精神的にもろかった、想定外の事情にいとも簡単にパニックになっていた。人生で色々経験したら、心には余裕が生まれていた。体力のなさは、成長した心の強さでカバーしたことも多し。
★とっさのリアクションー子供がチョロチョロっと危ない方へ行く。若いママは声より体が先に飛んで行く。そして「ダメよ」と。私を初め、お年をめしたママは、体が飛んで行かないので人目もはばからず大声で止める。「
こらぁ!!!!止まれぇぇぇ」 周囲に少々振り向かれても気にしない。この「気にしない」のも、年齢を重ねた結果か?!
★収入と自分に残る体力を秤(はかり)にかけるー同じ仕事を長く続けているので、若い頃より収入はある。しかし仕事をバリバリこなすと、休日に子供と遊んでやる体力が残っていない・・・。これは、ちとカナシイ
。
収入が少なく、体力がバリバリある場合と、頭の中で比較してみるものの、どっちがいいかわからない。「遊んでよー!!」という子供の要請に、どーしても体がついていかない時は、しみじみ
中年なんだ・・と自覚する。(アラフォーとか、かっこよく言ってみても、所詮は高齢なのである。)
★子供の爪を切る時に・・!!−電気を明るくして、めがねをかけてるというのに、なんだか焦点が合わない。去年からあれ?と思いながら爪を切っていたが、「それ、老眼だよ」と指摘を受け、がーーーーーーん
。ママがこれ以上焦点合わなくなる前に、自分で切れるようになってね、と心の中で願うのであった。
★子育ての方針ー若い時の自分なら、躾や教育にあれやこれやとこだわりや、譲れない点があったろう。しかし年を重ねると、何がこなれてくるんだか?、細かいことはどーでもよくなる。
うちの場合、私より8歳若い夫が、こだわりや理想をもって懸命に接しているので、余計どーでもよくなった。情熱的に説教する夫に加え、母親の私までうるさくなると、子供に逃げ場がなくなってしまう。ならば私は、あらゆる意味で「受け皿」に徹しよう。そんなわけで、元々てきとーな人格であったが、出産後さらにてきとーになった。
しかし、仮にこだわろうとしても、毎日仕事から帰ってくると体力が切れていて、疲労が私を襲うのでいちいち覚えていられない・・・。
★子供が成人を迎えたら、自分は「還暦」かぁ、と余韻にひたる。その頃、まだ仕事を続けているんだろうか・・、自分の仕事はどういう方向にいっているんだろうか、などと考えてみる。もし我が子が自分と同じ晩婚だったら、孫は見れないかもな(苦笑)・・とか。
実際のところ、毎日髪を振り乱し、疲労の限界のところを、ギリギリでやりもりしてるってのが、現実。あまりにギリギリなので、何かの拍子に歯車が1つ狂うと、途端に日常生活が壊れてしまう「危うさ」をはらんでいます。綱渡りと言えば、正にそう。
似たような状況のママ友とたま〜に話し、「私だけじゃないのね」って互いに励ましあって、それぞれに必死ですわ。
女性の生き方に選択肢が広がり、仕事をバリバリこなしながら母親業をさせて頂くこの「挑戦」には、感謝しています。
これから保育園、小学校と進んでいく子供達は、どんな風に育つのでしょうか?どんな「家庭像」を持つんだろ?そう思うと、公私共に、かなりクリエイティブ(創造的)なことしてんだな、と感じたりもするシルバーウィークでした。