まもなく5歳になる息子(Marioとスペルして、ポルトガル語では「まりぅ」と発音します)が、私のお腹にいるとき、この「ボヘミアの宝箱」の基礎になる部分を、一生懸命作っていました。それもなんだか懐かしい今日この頃、ということは、それだけ年月がたったということでもありますね。
毎日激務を重ね、子供といられる時間にも激しい制限がある我が家でも、子供たちは着実に成長しています。
先日まりぅがこんなことを、いきなり言います。
「ママ、きりんびーるって、キリンが入ってるかと思ったけど、入ってないよね」
「うん、入ってないね。だってキリンは大きすぎるし、キリン食べる人はいないもの」
「え、食べないの?こないだ動物の番組で、ワニやカンガルーは食べるって言ってたから、ぼくキリンも食べるのかと思っちゃった!」
「へー、そんな番組で言ってたこと、覚えてんだ!スゴイね〜」
「じゃあさ、きりんびーるは、キリンのにおいだけするのかなぁ?」
「だからどんな匂いやねん!まりぅ、知ってんの?」
「ぼく、なんとなくわかる。たぶん・・・・にがい
」
ここまできて、ビールに描いてある麒麟は、実際の動物じゃなくて、中国の想像上の生き物で・・・とか、どこまで説明していいものやら悩む。あんまりいい加減なことは言えない。記憶力がついてきてるから、しばらく前に見聞きしたことは、きっちり信じ込んで、頭に入れてしまうので。
以前から「まりぅはね、半分ポルトガル人で、半分日本人なんだよ」と教えてきた。
こないだいきなり、チョップのような手の平を頭の中央にのせ、「ママ、ぼくのどっちから半分がポルトガルで、どっちが日本なの?」と聞く。
「うーん、そういうことじゃなくて、(遺伝子は)まばらに混じるからなー。えーとね、そんなはっきり分かれてるわけじゃないの。パパとママが、まりぅの中でまぜまぜしてるんだ。」
「まぜまぜ?じゃあ、ぼくごちゃごちゃなの?」
(まぁある意味そうなんだが)「ちがうちがう。あ、でもまりぅの顔はパパとそっくり、まりぅの心はママとそっくりだから、『外側はパパで、心の中がママ』って考えるとわかりやすいよ」
「そっか!わかった」
以後、保育園でもどこへ行っても、「ぼくは顔と体はパパで、心がママなんだよ!」と自己紹介している。(親としては、そんなに言いふらしてもらわんでもよいのだが・・)
とどめは、以下の4段階でのメッセージ
。
?まりぅは、「蒟蒻(こんにゃく)畑」のCMに出てくるおねーさんが好みである。ママにもあれ位スリムなお腹になってほしいと、純粋に願っているらしい。そしてウマイことを言う。
「ママ、もう少し痩せたら、もっときれいになるんじゃない?あの人みたいに」ですと。こういう言われ方をすると、反論できない。ムッともしない。(主人は同じ内容でも、私を怒らせる言葉をストレートに言うので、この時点で「まりぅの勝ち!!」とか思う。)
?お風呂の前に服をぬいでいたら、「ママ、(ふくらはぎを触って)ここと、腰とお腹を、もうちょっと痩せるといいよ。」
「・・・・・・・・・・・・」ーあまりにも言い得てるので、言葉が出ない。主人は横でひとこと、「具体的だなぁ。」うっせーんだよ、あんたに言われたきゃない
。
?「ママー、ぼくね、自転車みたいで、足を開いたり閉じたりするやつ、ママに買ってあげたい。」
「なんだ!?そりゃ??」
「たったの60びょうでやせるんだって
『れっぐまじっくえっくす』って言ってた。」
"Leg Magic X"であろうか?? 多分痩せる機械で、テレビ通販かなんかで言ってんだろう。ぼけっと見てるCMの時にも、そんなこと考えてるん?
?BSチャンネルの「アンパンマンくらぶ」を見ていた。「よーし、ママ、テーマソングを踊ってるはるなおねーさんになるよ!」
(私のお腹の肉をぽんぽん叩き、真剣な顔で)「ママ、ここがあるからできないよ。」
(悔しかったので、Tシャツをジャージのズボンから出して、まっすぐに伸ばし)「ほら、まっすぐだよ!」と言うと、
「でもおねえさんは、もっとまっすぐなんだよ!」
「いやだ、それでもママは出る。アンパンマン体操踊るよ!」
(するとめっちゃ心配そうな顔で)「それならね、ママ、いっちばんかわいくしないといけないよ?わかる?」−どうやら息子なりに、人前に出る人は、細くてかわいくないといけない、と認識しているらしい。そしてそれに当てはまらないママのことを、心底心配しているんだね。(とほほ)
この4段階の波状攻撃は、私を傷つけず、なんとなく「痩せようかな。おかわり、やめてみようかな?」と思わせてくれた。(そう、
2009.06.02で書いたようにランチの大盛りはやめていたが、晩御飯は2杯目のおかわりを、まだしていたもんですから
。)
母親の私が一番「成長」を感じたのは、息子が、私をムッとさせない・傷つけない言葉の遣い方をマスターしていることだった。こりゃ、主人には絶対に死ぬまでできない芸当だ。
さて、質問の内容が高度化し、記憶力の増してきたまりぅが、最近真剣に考えているもう1つのこと。それは
「なぜママは、5歳なのか」
ということだ。(→
2010.08.11参照)
「ママ、ぼく今4歳でしょ?じゃあ、ママは何歳のとき、ぼくを産んだの?」
「えぇーと、1歳、かな?(大汗)」
「ええっ、1歳で?でもほうみちゃんが1歳のとき、赤ちゃんだったよ!!」
(私が答えに窮していると主人が)「だからまりぅ、ママは41歳なんだよ!」
「よんじゅう・・・?パパだって34歳なのに、そんなおばーさんじゃないでしょ!」←まりぅにとって、この世で一番大きな年齢はパパの34歳らしい。それより大きな数字が、(パパより幼稚な)ママの年齢である筈がない、と思うらしい。喜んでいいのかどうか・・。
「まりぅ、いーの。もう少ししたらママちゃんと説明するけど、ママは今5歳だよ。今度まりぅが5歳になったら、ままは6歳になるんだよ。」
「やっぱそうだよね、ぼくビックリしちゃった
。」
この理論が破綻するのも近い日のことでしょうが、せいぜいそれまでは「5歳」を楽しもうと思います。